オオイヌノフグリ・タチイヌノフグリ・フラサバソウ・イヌノフグリは世界中の畑や道端で見られる青い野生種4種で日本でも早春の花を代表し、雑草に興味をもった時、一番初めの方に名前を覚える植物かもしれません。ただ、いずれも花も青~紫色をしており、葉も一見似ているので、区別に迷うことがあるかもしれません。しかし、茎の立ち方、葉・花・果実の形をしっかりと観察することで区別することが出来ます。今では日本中で見ることができるオオイヌノフグリですが、実は日本で初めて確認されたのは明治初年です。それ以前はイヌノフグリという別の種類が日本中で確認されていました。そのイヌノフグリは今では道端から姿を消し、殆ど岩礫地や石垣にのみ見られる状態になってしまいました。その理由については諸説ありましたが、最近の研究ではオオイヌノフグリによって生息地が追いやられた結果であるという説が濃厚になっています。イヌノフグリ側が駆逐されるという結果は色々要因がありえますが、「繁殖干渉」という生物学でよく知られる現象も関係しているかもしれません。イヌノフグリ類の花柄の長さや花の大きさには違いがありますが、これは繁殖方法の違いが影響しているかもしれません。花柄の長い種類では他家受粉を行いますが、短い種類では行いません。花柄の長い種類では早春によく見られる小型のハナバチやハエ目がよく訪れています。果実は蒴果で種子には一部の種類ではエライオソームがついておりアリによって運ばれます。本記事ではイヌノフグリ類の分類・歴史・進化・送粉生態・種子散布について解説していきます。
世界中の畑や道端で見られる青い野生種4種
オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢) Veronica persica は日本の文献ではヨーロッパ原産とされますが(神奈川県植物誌調査会,2018)、中国の文献では南西アジア原産とされます(Wu & Raven, 1998)。世界各地で帰化種として分布を拡大し、日本では明治初年に初めて確認され、1919年には全国に広がっています(鶴内,1994)。空き地や道端に生える越年草です(神奈川県植物誌調査会,2018)。
タチイヌノフグリ(立犬の陰嚢) Veronica arvensis は日本の文献ではヨーロッパ原産(林ら,2013)またはユーラシア・アフリカ原産とされます(神奈川県植物誌調査会,2018)。中国の文献では南ヨーロッパ・南西アジア原産とされます(Wu & Raven, 1998)。世界各地で帰化種として分布を拡大し、日本では明治のなかごろに気づかれ、現在では全国に分布し(林ら,2013)、空き地や道端に生える一年草です(神奈川県植物誌調査会,2018)。
フラサバソウ Veronica hederifolia はヨーロッパ・アフリカ原産で(神奈川県植物誌調査会,2018)、畑や道ばたなどに生える日本では江戸時代の1862年にイギリス人によって長崎で初めて発見され(鶴内,1994)、現在では全国に分布し、畑や道端に生える一年草です(神奈川県植物誌調査会,2018)。
イヌノフグリ(犬の陰嚢) Veronica polita subsp. lilacina は南西アジア原産で(Wu & Raven, 1998)、おそらく古代に帰化し、北海道、本州、四国、九州、奄美、沖縄県に道端や草地に生えていましたが(京都府,2015;神奈川県植物誌調査会,2018)、後から入ってきたオオイヌノフグリに圧倒されたともされ、現在では主に沿岸部で確認される越年草です(神奈川県植物誌調査会,2018)。環境省RL絶滅危惧II類(VU)に指定されています。
いずれもオオバコ科クワガタソウ属の中では畑や道端で見られる(見られていた)種類です。特にオオイヌノフグリは雑草に興味をもった時、一番初めの方に名前を覚える植物かもしれません。
原産地も諸説ありますが、大体同じです。花も青~紫色をしており、葉も一見似ているので、区別に迷うことがあるかもしれません。
オオイヌノフグリ・タチイヌノフグリ・フラサバソウ・イヌノフグリの違いは?
この4種ですが、いくつかの特徴を見比べる必要があります。
まずタチイヌノフグリでは上部の苞は次第に小さくなり、下部の対生する葉と形が異なるのに対して、オオイヌノフグリ・フラサバソウ・イヌノフグリでは苞は葉と同形であるという違いがあります。
しかし、これは植物分類学的な区別で、この点を確認するのは初心者には難しいかもしれません。
別の違いとしてはタチイヌノフグリでは名前通り茎は明らかに地面に垂直に立ち上がり、葉は広卵形で全縁かやや大きな鋸歯がある程度で、花柄が殆どないのに対して、他3種では地面に這っており、葉は鋸歯が目立ち、花柄があります。
残り3種に関しては、オオイヌノフグリ・イヌノフグリでは葉は洋紙質でつやがなく、2~5対の粗い鋸歯があり、果実は2球形の場合は外皮に白色長毛があるのに対して、フラサバソウでは葉はやや肉質でつやがあり、1~2対の大きい鋸歯があり、果実は2球形で外皮に白色長毛はないという違いがあります。
残りのオオイヌノフグリ・イヌノフグリに関しては、オオイヌノフグリでは葉の鋸歯は3~5対で、花はるり色で、果実の両端はやや尖るのに対して、イヌノフグリでは葉の鋸歯は2~3対で、花は淡紅色で、果実の両端は丸いという違いがあります。
以上に加え、フラサバソウは長崎から広がったことから、九州西部で密に生えていることや、上述のようにイヌノフグリは現在では主に沿岸部などの石垣に生えることが多いことも参考になるでしょう。
なお、近年フラサバソウに似たコゴメイヌノフグリ Veronica cymbalaria が東京都や神奈川県などで見られますが、鋸歯数が多く片側5になることが多く、花が白いことから区別が付きます。
「イヌノフグリはオオイヌノフグリによって駆逐された」というのは本当か?
今でこそオオイヌノフグリは日本では普通種ですが、上述のように明治初年に確認されており、それより昔では存在していなかったと考えられています。貿易が盛んになった文明開化とともにやってきたといえるかもしれません。かつてはオオイヌノフグリの代わりにイヌノフグリが道端に生えていたと言われています。
このことから時々「イヌノフグリはオオイヌノフグリによって駆逐された」と言われることがあります。これは本当なのでしょうか?
実はこのことは研究者の間でも意見が分かれていました(高倉ら,2011;神奈川県植物誌調査会,2018)。
著名な植物学者である牧野富太郎氏の1988年の植物図鑑ではイヌノフグリについて「畑や道ばたにはえる」と記しています。また神奈川県で作成された植物誌でも同様の記述です。
しかし、現在では海岸~内陸の岩礫地や石垣に生息地が限られています。
このことはイヌノフグリがオオイヌノフグリによって駆逐されたとも解釈できますし、元々イヌノフグリは岩礫地や石垣に生息しており、イヌノフグリが畑や道端に生えるのはそもそも少数派の事例で、オオイヌノフグリとはそもそも棲み分けがなされていたと解釈もできます。
このことを明らかにするには牧野氏の記録以前の記録を確認したいところですが、研究者らが大阪市立自然史博物館に所蔵された標本を調査した所、第2次世界大戦以前の標本はほとんどなく、戦後間もなくの標本で、多くは既にほとんどが石垣環境由来のものでした。
つまりどちらが正しいかどこにも証拠は残っていなかったのです。これでは迷宮入りになってしまうのかもしれません。
イヌノフグリは岩礫地や石垣を好んでいるわけではなかった?
しかし、別の手段で真実を明らかにするため、博物館を調査したのと同様の研究者らは、ヒトの往来が少なく、オオイヌノフグリの帰化による影響を受けにくい瀬戸内海の多数の離島で、イヌノフグリがどのような生息環境にいるのかを調査しました。
その結果、本土から遠い離島であればあるほど、オオイヌノフグリが少なくなり、よりイヌノフグリが路傍や耕作地(畑)で優占することが明らかになったのです。
しかも、イヌノフグリが路傍や耕作地に生息する島では、岩礫地や石垣の環境も存在しています。このことから本来イヌノフグリは岩礫地や石垣の環境を好んでいるわけではなかったということが推察されました。
この研究からはやはりイヌノフグリはオオイヌノフグリによって駆逐され、岩礫地や石垣の環境に追いやられたということが考えられそうです。
なぜイヌノフグリ側が駆逐されたのか?
オオイヌノフグリがイヌノフグリに駆逐したと言いますが、オオイヌノフグリが特別アレロパシーなどによってイヌノフグリを攻撃しているという証拠はないですし、オオイヌノフグリの方がイヌノフグリより特別に繁殖力が強いという証拠も現状はありません。
なぜこのような非対称な自体が発生したのでしょうか?
勿論、上記のような理由が関わっている可能性もありますが、別の、あるいは事態を加速させた一つの仮説として非対称な「繁殖干渉」という現象が発生したということが考えられます。
繁殖干渉とは近縁種同士が交配することによって繁殖力が低下してしまう現象のことです。ここでは、片方の種類の雌しべが別の種類の花粉を受け取ってたとき、種子が出来なくなってしまうことです(不稔性)。
これを確かめた実験によると、イヌノフグリがオオイヌノフグリからの花粉を受け取ったとき、種子を減らしましたが、オオイヌノフグリではイヌノフグリから影響を受けませんでした(Takakura, 2013)。
このように別の種類から花粉を受け取ったときの反応の違いが非対称に分布を広げた要因の一つになっている可能性があります。
ただオオイヌノフグリが全国に広がった1919年から、イヌノフグリが衰退し始めたと思われる1945年まで随分タイムラグがあるように思えます。なぜタイムラグがあったかはまだ分かっていないと言えそうです。
イヌノフグリ類の花期と花の形は?
オオイヌノフグリは花期が3〜5月。茎の上部の葉腋から長さ1〜2cmの花柄をだして瑠璃色の花をつけます。花は直径0.8〜1cmで日があたっているときだけ開きます。花冠は4裂し、上部の裂片がやや大きく、色も濃いです。雄しべは2個。
タチイヌノフグリは花期が3〜5月。上部の葉腋に青色の小さな花を1個つけます。花は直径4mm。花柄はほとんどなく、苞や萼に埋まるように咲きます。萼には腺毛と短毛があります。
フラサバソウは花期が4〜5月。上部の葉腋から葉と同じくらいの長さの花柄をだして、直径3〜4mmの淡青紫色の花を1個つけます。
イヌノフグリは花期が2~4月。茎の上部の葉脇に直径約0.5cmの花柄のある花を1個付けます。花冠は4裂し、淡紅紫色。萼も4裂します。
いずれも早春の青い花という点ではよく共通しているでしょう。
花の大きさや形の違いによって繁殖の仕方に違いはある?
このような花の大きさや形の違いによって繁殖の仕方に違いはあるのでしょうか?
いくつかの研究の結果を合わせると、オオイヌノフグリ・フラサバソウでは自家受粉と他家受粉を行うのに対して、タチイヌノフグリでは自家受粉のみを行うことが分かっています(鶴内,1994;田中・平野,2000)。イヌノフグリについては不明ですが、おそらく少なくとも他家受粉は行うと考えられそうです。
このことは花の形にも現れています。
オオイヌノフグリ・フラサバソウ・イヌノフグリでは長さに違いがあるものの花柄が伸びているのに対して、タチイヌノフグリは花柄が殆どありません。
オオイヌノフグリ・フラサバソウ・イヌノフグリは花柄が長く花は長い柄で支えられた状態になっています。これによりやってきた虫達は振り落とされないようにしがみつくことになり、生えている2個の雄しべを自分で自分の体に引き寄せてくれます(田中・平野,2000)。また、葯(=雄しべの花粉をつくる部分)はT字状になっており、これも掃除機やクイックルワイパーのようにぴったりと虫の体にひっつくことを可能にします。
オオイヌノフグリ・フラサバソウではやってくる昆虫について詳しく研究されていて、日本の研究ではいずれも小型のハナバチ類とハナアブを含むハエ目が大部分を占めていました(鶴内,1994)。この研究では直接言及されていませんでしたが、一般的に早春の気温でも活動できる訪花昆虫は寒さに強い小型のハナバチやハエ目に限られます。小型の花は小型昆虫に見事に適応した花のサイズになっていると言えるでしょう。ただ特に花が大きいオオイヌノフグリと小さいフラサバソウの間でやってくる昆虫の明確な違いは今のところ知られていません。
夕刻になると雄しべが内側に曲がり、葯と柱頭が接し、自家受粉を行うことになります(田中,1976)。
一方、タチイヌノフグリでは花柄が殆どなく、直径は4mmほどでオオイヌノフグリに比べれば目立ちにくいです(田中,1976)。開花時間は遅く10時頃で、午後3時頃には閉じてしまいます。少量の蜜は分泌されますが訪れる昆虫はなく、開花後すぐに雄しべの葯と雌しべの柱頭が内部で接して自家受粉します。昆虫を利用せずに完結していると言えます。
これらの違いは野外での繁殖において何らかの影響を与えている可能性がありますが、今のところ詳しいことは分かっていません。
しかし、オオイヌノフグリは特に早春の虫によく適応した花を持ち、自家受粉も可能という柔軟さは様々な環境に対応できると言え、ユーラシア大陸中に大きく広がった要因の一つと言えそうです。
果実の構造は?
果実はいずれも蒴果です。この蒴果がイヌの陰嚢に似ているとされたことが、「イヌフグリ」と呼ばれるようになった由来です。
オオイヌノフグリでは蒴果は長さ約4mm、幅6〜7mmで平たく、ふちにだけ長い毛があります。なかに舟形の種子が入っています。
タチイヌノフグリでは蒴果は長さ約3mm、幅4mmで平たく、ふちに腺毛があります。なかには扁平な楕円形の種子が入っています。
フラサバソウでは蒴果は長さ2.5〜3mmのほぼ球形で先端がややへこみます。種子は1〜3個で深い舟形です。
イヌノフグリでは蒴果はやや扁平で、丸く、表面に白毛があり、腺毛が混ざります。種子は長さ約1.5mm。
種子はアリに散布される種類とされない種類があった!?
これらの果実についても生態の違いはあるのでしょうか?
京都大学で行われた研究によると、オオイヌノフグリとイヌノフグリでは種子にアリの餌となるエライオソームがついており、種子が成熟したときには大きく裂開し種子が露出した後、地面に落ち、アリによって種子が散布されることがわかりました(三浦ら,2003)。
具体的にはイヌノフグリではオオズアリ、ルリアリ、トビイロシワアリが運んでいました。オオイヌノフグリについては明らかにされていません。
一方、タチイヌノフグリではエライオソームはついておらず、論文では明言されていませんが、おそらく重力や風によって散布されるものと思われます。
この種子散布の違いについても野外での繁殖でどう影響するかは分かっていませんが、オオズアリ、ルリアリ、トビイロシワアリはいずれも畑~都市部でも見られる種類で、花に加えて種子散布を考えてもそのような地点で見られる理由が分かってきます。
イヌノフグリは種子を崖から落とさないように進化していた!?
種子散布に関してはイヌノフグリでは更に詳しいことが分かっています。
イヌノフグリは上述のようにオオイヌノフグリに駆逐され、岩礫地や石垣での生活を余儀なくされました。
しかし、その中で環境に適応するために進化も起こりました。
イヌノフグリは本来種子が成熟したとき大きく裂開し種子が露出した後、種子を地面に落とします。しかし、岩礫地や石垣のような環境では種子が下まで落下し、生息地まで戻ってこられません。
そのため、岩礫地や石垣のような環境で生えるイヌノフグリは種子が露出した後、上を向いて裂開し、種子は露出するだけで果実の中にとどまるようにしています。
こうすることで、アリが種子を果実から直接運び、岩礫地や石垣内で自由に種子を散布すること可能にしています。
このことからイヌノフグリは単に岩礫地や石垣に追いやられているだけではなく、高度な適応が発生していることが分かっています。
引用文献
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