アンズとアプリコットは果実をドライフルーツとして食することから身近な食べ物です。これらはよく同じものとして扱われ一般的にアンズはアプリコットの英名として扱われることが多いです。しかし、これは正しくない場合があります。生物学的には、非常に近い仲間ではあるものの、日本で「アンズ」と呼ばれている個体群と英語で「アプリコット」と呼ばれている個体群では花や葉の形や付き方に違いがあることが分かっています。味にも違いがあります。そのため、これらを広い意味で「アンズ」や「アプリコット」と総称するという考えも出来ますが、地理的な側面や、文化的な利用の違いなどの考慮して、呼び分けた方が適切な場合もあるのです。そもそもアンズ・ウメ・サクラ・スモモについて区別がつかないという人のためにも果実と花の違いも紹介しています。アンズ(広義)の原産地は遺伝子を用いた最新研究で中国と中央アジアであるとほぼ特定されています。世界への伝播は興味深いことにいち早く朝鮮を経て日本にやってきたアンズ(狭義)と、長い時間をかけてヨーロッパとアメリカにたどり着いたアプリコットの2ルートがあることが分かっています。用途も対照的で、中国や日本では元々杏仁を薬用していましたが、ヨーロッパルートでは果肉を食用としていました。アンズの花は開放的で様々な昆虫が受粉に貢献するようにも思えますが、かなりハナバチに偏っています。なぜウメとサクラの間に咲くのかは科学的な研究はありませんが、種類間の競争・交雑の防止、原産地での訪花昆虫が影響していそうです。果実に含まれる杏仁には毒性がありますが、この自然界での役割は大きな謎です。しかし、鳥には全く無毒である可能性が高く、この毒は哺乳類を嫌っているのかもしれません。本記事ではアンズとアプリコットの分類・送粉生態・種子散布・毒性について解説していきます。
アンズとアプリコットには違いがあった!
アンズ(杏) Prunus armeniaca var. ansu(シノニム:Armeniaca vulgaris var. ansu)は中国が原産で、原産地では雑木林、日当たりの良い斜面、乾燥した川の谷に生息する落葉小高木です(Wu et al., 2003)。朝鮮と日本に伝わり、薬用や食用、あるいは観賞用のために栽培されています。
アンズはバラ科スモモ属に含まれ、果実が食用や薬用になることから日本人にも親しみが深い植物です。
ところで、「アプリコット」と呼ばれるよく似た果実を作る植物もあります。これらは同じものなのでしょうか?
一般的にアンズはアプリコットの英名として扱われることが多いです。例えば『日本語版Wikipedia』ではそのように扱われています。
しかし、これは正しくない場合があります。生物学的には、非常に近い仲間ではあるものの、日本で「アンズ」と呼ばれている個体群と英語で「アプリコット」と呼ばれている個体群では花や葉の形に違いがあることが分かっています(吉田,1980;Wu et al., 2003)。
そのため、これらを広い意味で「アンズ」や「アプリコット」と総称するという考えも出来ますが、地理的な側面や、文化的な利用の違いなどの考慮して、呼び分けた方が適切な場合もあるのです。
このような違いは分類学的には種レベルではなく、変種レベルの違いであると考えられています。普通種レベルの違いでは交雑し、子孫を残すことはありませんが、変種レベルの違いの場合は、「形態に違いがあるけど、交雑するレベルの違い」だと言うことが出来ます。
分類学的に言い換えると、アンズ(広義) Prunus armeniaca は2変種に別れ、アプリコット Prunus armeniaca var. armeniaca とアンズ(狭義) Prunus armeniaca var. ansu に別れるというわけです。
以下はアンズとアプリコットは別物であるという立場から解説していきます。
アンズとアプリコットの形態的な違いは?
具体的にアンズとアプリコットの形にはどのような違いがあるのでしょうか?
最も分かりやすいと思われるのが花です(Wu et al., 2003)。
アンズでは花は通常2個が対になって付き、花弁はピンクであるのに対して、アプリコットでは花は通常1個のみの単生で、花弁は白色です。
この他にも違いがあります。
果実に関しては、アンズでは花に引き続き通常2個が対になって付き、内果皮(美味しい果肉の中にある硬い部分)の表面は網目状の模様であるのに対して、アプリコットでは通常1個のみの単生で、内果皮の表面に網目状の模様はありません。
葉に関しては、アンズでは葉の基部が楔形から広い楔形で、上面は有毛であるのに対して、アプリコットでは葉の基部がほぼハート型から円形で、上面は無毛です。
味についても気になるかもしれませんが、生食の場合、アンズの果実は「食べると目がさめるほど酸っぱい」のに対して、アプリコットの果実は「食べると酸っぱみもあるが甘い」と表現されています(吉田,1980)。
世界に広がっていたのはこの2変種ですが、この他にもいくつか変種があります。以下は日本語名がないので筆者が独自に付けています。
センバイアンズ(陕梅杏 shan mei xing)またはバイケンアプリコット(Mei County apricot) var. meixianensis は中国(陝西省宝鶏市眉県)に分布します。花は八重で、直径約4〜4.5cm、雄しべは約100本であることから唯一無二で簡単に区別が付きます。
シタンアンズ(志丹杏 zhi dan xing)またはシタンアプリコット(Zhidan apricot) var. zhidanensis は中国(寧夏回族自治区、青海省、陝西省、山西省)に分布します。アプリコットに類似し、花は通常1個のみの単生で、葉の基部がほぼハート型から円形ですが、アプリコットとは違い、葉は有毛で、核果は直径1.5~2cm(アプリコットでは直径2.5cm以上)となっています。
アンズ・ウメ・サクラ・スモモの果実の違いは?
そもそもアンズ・ウメ(梅) Prunus mume ・サクラ(桜) Cerasus spp. ・スモモ(李) Prunus salicina との区別がつかないという人もいるかもしれません。
そこで簡単に違いを抑えておきましょう。なお、サクラという植物種は存在しませんが、サクラと呼ばれる種類の総称と考えてください。
果実に着目するのが最も簡単です。
アンズ・ウメ・スモモでは果実に縦の凹みがあり、粉白、時に有毛であるのに対して、サクラでは果実(さくらんぼ)に縦の凹みなく、粉白になることはありません(犀川・岩元,2007)。
これはいつも食べている時を想像すれば分かるでしょう。このような特徴は分類でも重要視され、アジア圏では特に、アンズ・ウメ・スモモはスモモ属 Prunus、サクラはサクラ属 Cerasus に分ける根拠ともなっています。ただし欧米では特に分けないことが多いです。
そして、アンズとスモモの果実では甘みが生じ、熟すと緑色から暖色に変わり、種と果肉が離れる(離核性がある)のに対して、ウメの果実は完熟しても果肉に甘みを生じず、緑色のままで、種と果肉が離れません。
これも梅干しを食べる時を考えると容易に想像できます。なお、梅干しが赤いのは、アカジソ Perilla frutescens var. crispa f. purpurea の葉によるもので、アカジソの葉に含まれる「シソニン」という色素がウメのクエン酸に反応し、赤くなっているだけです。
アンズとスモモに関しては、アンズの果実は熟すと黄色~濃い黄色に変わるのに対して、スモモは熟すと赤色に変わります。
アンズ・ウメ・サクラ・スモモの花の違いは?
以上で判別可能ですが、花についても見てみましょう。
アンズとウメでは花柄(花と枝を繋ぐ部分)が殆どないのに対して、サクラ・スモモでは花柄が長くしっかり存在します。
アンズとウメに関しては、アンズでは3~4月に花が枝の全体に密につき、萼片が反返り先が尖るのに対して、ウメでは2~3月に花が枝の一部に疎らにつき、萼片が反り返らず先は丸いです。
サクラとスモモに関しては、サクラでは花弁の基部はよく広がり花正面から萼は見えず花弁の先端に切れ込みがあるのに対して、スモモでは花弁の基部が細まるため花正面から萼が目立ち、花弁の先端に切れ込みはありません。
葉でも区別は可能ですがここでは省略します。なお、4種に限ればこの分類で問題ありませんが、実際にはスモモ属には沢山の種類がいるため、全て判別できるわけではないことはご了承下さい。
アンズの原産地はどこ?
元々アンズ(狭義)やアプリコットの祖先となったアンズ(広義) Prunus armeniaca はどこに分布していたのでしょうか?
最新の遺伝子を用いた研究では、中国を含む中央アジアで最も遺伝的に多様性があることから、中国と中央アジア原産であると考えられています(Bourguiba et al., 2020)。
中国では、新石器時代(紀元前3000~紀元前2000年)に既に利用されていました(小林,2017)。殷(商)代の紀元前3~紀元前2世紀には栽培が始まり、三国時代の5~6世紀には赤杏、黄杏、李杏、文杏等の品種がみられるようになります。花を観賞するとともに、最初のうちは果肉よりは種子の内部にある「杏仁」を解熱、 咳止めなどの薬用として利用していました。
アンズの記載のある最古の文献は夏代の暦を書いた中国最古の農事暦である『夏小正』で、西漢墓からも杏核が発見されています。古書では『山海経』や『礼記』にもその記載がみられるほか『斉民要術』や『本草綱目』などにも詳しい記述が残されています。
杏仁豆腐も元々は薬膳料理の一種で、杏仁を喘息、乾性咳嗽の治療薬を甘くして服用しやすくした料理です。品種改良が行われた苦味が少ない杏仁である「甜杏仁」を粉末にした「杏仁霜」を、寒天で冷やし固めてから、菱形に切り、甘いシロップに浮かせて作ります。
中国から日本と欧米へ全く異なるルートで世界に広がっていた!
このアンズ(広義) Prunus armeniaca は2ルートを辿って、世界に広まっていきました。日本まで伝わったルートの個体群がアンズ(狭義) var. ansu であり、ヨーロッパ・アメリカまで伝わった個体群がアプリコット var. armeniaca だったということになります。
アンズ(狭義)は約2000年前に前漢(中国)から弥生時代の中期の日本に伝わりました(小林,2017)。これはセイヨウナシなど、ヨーロッパへと伝播した後、かなり後になって商品作物として日本にやってきた果物とは大きな違いです。
文献上では平安時代の日本最古の本草書『本草和名』(918年)、日本最初の分類体の漢和辞書『倭名類聚鈔』(931~938年、源順が編纂)では、アンズに「加良毛毛」の和名をつけて、利用されていた記録が残っています。当初は中国と同様に観賞用として杏仁が薬用として用いられていました。果樹として、果肉も利用するために栽培されるようになったのは比較的新しく、江戸時代に入ってからです。
明治時代に入り化学合成医薬品の発達により杏仁の需要が減少するにつれて果樹としての利用が増え、現在では商品作物としては長野県、山梨県、山形県を中心に栽培されています(田中,1995;貝津,1995)。橙黄色に熟した果実の果肉は酸味が強く、生食に向かないものが多いため、干しアンズやシロップ漬けなどの加工品になります。
一方、アプリコットは紀元前2~紀元前1世紀に前漢(中国)からシルクロードを経て、大月氏、セレウコス朝シリア(現在のイラン・コーカサス地域)や紀元前190年にここから独立したアルメニア王国、紀元前247年に独立したパルティア(現在のイラン)に伝わり、遺伝的多様化の二次的中心地となりました。1世紀にローマ帝国のギリシャ、ローマに広がりました。
こちらのルートではドライアプリコットとして果肉を食用とするのみです。
ローマを経由して、地中海の北アフリカ・南ヨーロッパ各地に広がり各地で改良されたため、ここでも遺伝的多様化が起こりました。ヨーロッパ北部へも徐々に広まり、テューダー朝イングランド王国(現在のイギリス)へはヘンリー8世の時代の16世紀の初め(一説には14世紀の中頃)にカトリック教の牧師によって、イタリアから輸入されました。この時にPraccox(早熟の果物)が変化し、アプリコットと呼ばれるようになります。
アメリカ大陸へはスペイン・ブルボン朝から18世紀に伝わっています。
アンズの花はどんな構造をしている?
アンズはウメとサクラの開花時期の中間になる早春から春(3~4月頃)に淡紅色(ピンク色)の花を咲かせます。通常2個が対になって付きます。花は直径2.5~3cm、5弁花です。花弁の先は円形です。雌しべは1個、雄しべは多数から構成されます。萼は紅紫色、萼片は広惰円形で反り返ります。花柄は短いです。
アプリコットの場合は通常1個が単生し、花の色が白色ですが、その他は殆ど変わりません。
ウメやサクラともよく似ていますが、萼片が反返ることから区別できます。
アンズにはどのような昆虫が訪れる?
この花にはどのような昆虫が訪れるのでしょうか?
日本の岩手県で行われた果樹園での研究では、セイヨウリンゴ、ナシ、セイヨウナシ、モモ、スモモ、セイヨウミザクラ、ウメ、アンズに訪れる昆虫が詳細に調査されています。
アンズのような自家不和合性の植物の花は自家受粉を行うことはなく、必ず別の個体から昆虫に花粉を運んで貰うか、人工受粉をしない限り、果実をつけることはありません。
そのため、どのような昆虫が花に訪れているかを調べることはとても大事なことなのです。
その中で示されたアンズの結果を見ると、チョウ、ハエ、ハナアブ、スズメバチ、ミツバチ、ハナバチなど様々な昆虫がやってきていることが分かります。しかし、割合でいうと、セイヨウミツバチ Apis mellifera が1番で、ミツクリフシダカヒメハナバチ Andrena japonica が2番目でした。全体としてはハナアブは少数派で、ハナバチが主体となって訪れていると考えられそうです(小林,1979)。
花の中には特殊化を起こし特定の昆虫のみが訪れるように変化しているものも多いですが、アンズの場合は開放的な花の形態からか、かなり広く昆虫を呼んでいるようにも思えます。しかし、実際はハナバチを多く呼ぶ何らかの工夫があるのかもしれません。
セイヨウミツバチは外来種で、飼育されている個体しか居ませんが、2番目に在来種のミツクリフシダカヒメハナバチが多く訪れていたというのは興味深い点でしょう。これはつまり、野生のハナバチによってアンズは受粉している場合があることを示しています。
このような野生生物から知らず知らずに受ける恩恵のことを「生態系サービス」と言います。もし皆さんがアンズを食べることが好きなら、是非自然保全にも関心を持ってください。
なぜウメとサクラの中間に咲く?
上述の岩手県で行われた研究では、開花がアンズより早いウメでも同様の調査が行われていますが、データが少なく、ウメの訪花昆虫はアンズと比べて、大きな違いは確認できませんでした。
しかし、普通は近い仲間が同所的に生息する場合、開花時期をずらすことで、虫の呼び合いでの競争を避けたり、虫の種類の上での棲み分けが起こっていることが考えられます。また交雑を避けるのも大事なことです。
アンズとウメ、そしてサクラの花期にずれがあるのは、そのような理由で起こってる可能性は高そうですが、残念ながらこの研究では明らかではなく、情報が不足しています。
花期にずれがあるのは、別の理由も考えられます。ウメ・アンズ・サクラの祖先の生息環境はそもそも、それぞれ異なっており、一番昆虫がやってきてくれる時期にそれぞれの種類が独立に合わせたという可能性です。
この疑問に答えるには、もっと野生での生活史について詳細に調べる必要があるでしょう。
なお、アプリコットについてもパキスタンの研究でほぼ同様の昆虫のグループがやってきて、セイヨウミツバチが一番多くやってくるという結果が出ています(Maryam et al., 2020)。
果実は核果で入れ子構造になっている
果実は核果で直径約3cm。熟すと黄色~濃い黄色になります。
核果であることはスモモ属(狭義にはサクラ属、ウワミズザクラ属、バクチノキ属、モモ属も含む)で共通の特徴です。ウメなども同様です。
構造を細かく見てみましょう。
果実は普通、果皮と種子に分けることが出来ます。果皮は外果皮、中果皮、内果皮に3層構造になっています。
しかし、スモモ属では中果皮が「果肉」として水分と糖分を多く含むように変化しています。ここが食用になります。
更に、内果皮は固く木質化し、「核」または「果核」に変化しています。
そのため、「果肉」と取り除くと「核」が見えることになり、これを「アンズの種子である」と勘違いしてしまいそうになりますが、実際は「内果皮+種子」という他の植物にはない特別な構造を持っているのです。
核は直径約2cmの扁平な円形で、アンズの場合は表面はざらつき、網目状の模様がありますが、アプリコットではありません。
果肉を取り除き、更に固い内果皮まで取り除くと、ようやく種子が見えてきますが、更にこの種子は入れ子構造になっています。種子は「種皮」で包まれ、内部に「仁」があります。
仁は「胚」と「胚乳」から構成され、胚は細胞分裂し芽を出す本体であり、胚乳は胚が芽を出し、光合成するまでの栄養になる部分です。
この仁はスモモ属で共通で存在し、モモでは桃仁、ウメでは梅仁、ヘントウではアーモンドと呼ばれます。アンズの場合は杏仁などと呼ばれるのです。
杏仁は長さは1.1~1.5mmで、形状は扁平の先の尖った卵円形です。
杏仁には上述のように胚乳があるため、栄養素があり、味があります。ただし、青酸配糖体という物質も含まれることから苦味があります。このような野生に近いアンズが作る杏仁は苦杏仁と呼ばれます。一方で、品種改良を行い苦味の元である青酸配糖体を少なくしたものは甘みがあり、甜杏仁と呼ばれます。前者は鎮咳、去痰、嘔吐を起こす薬用に、後者は杏仁豆腐やアマレットなどの材料として用いられることになります。
アンズやアプリコットの毒はどのくらい危険?
杏仁は青酸配糖体の一種であるアミグダリンを含んでいます。
アミグダリン自体は無毒なのですが、経口摂取することで、同じく植物中に含まれる酵素エムルシンや、ヒトの腸内細菌がもつ酵素β-グルコシダーゼによって体内で分解され、シアン化水素(青酸)を発生させ、嘔吐、顔面紅潮、下痢、頭痛等の中毒症状を生じ、多量に摂取すれば意識混濁、昏睡などを生じ、死に至ります。
日本の食品安全委員会に当たる欧州食品安全機関(EFSA)が2016年4月27日に示したアプリコットカーネル(杏仁に当たる)の健康リスクについての意見書によると、1日何個の摂取で許容一日摂取量(20μg/kg体重)を超えるか計算したところ、小児では小さめのアプリコットの仁1日1個でこの値を超え、成人では小さめのアプリコットの仁では1日3個までなら超えないものの、大きめのアプリコットの仁では半分摂取しなくてもこれを超える可能性があるとしています。
しかし、一方でアンズの場合、用量(ごく少量)を守れば、鎮咳、去痰、嘔吐を起こす薬として利用することができるのです。
まさに毒にも薬にもなるということを示しています。
なぜ仁はアミグダリンをもっている?自然界での役割は?
ところでなぜ、杏仁を含むスモモ属の仁はアミグダリンを持ってるのでしょうか?自然界での役割が気になる所です。
ものすごく単純に考えると、果実を食べる動物がアミグダリンを含む仁を含む果核を食べないように仕向け、果肉だけを食べるようさせていると考えることもできます。こうすることで、果核を吐き出させ、別の場所に散布させるというわけです。
もしそうだとすると、わざと動物を嘔吐させているという可能性もあります。これが正しければ非常に興味深い進化であると言えるでしょう。
ただ、そうだとすると動物側にとてもリスクがあるように感じられます。特に多くの哺乳類はヒトとは異なり、器用に果肉だけ取り除くということは行わず、丸呑みすることも多いです。また、果核を噛み砕いた場合苦味を感じて、危険だと判断して、もうスモモ属の果実を食べるのをやめてしまうかもしれません。
もっと言えば、ヒトと同じようにその場で、果肉だけを食べて果核を別の場所に散布しないという「果肉泥棒」も出てくるかもしれません。
残念ながら医療健康方面からの研究は多数あるものの、このような自然界での役割については研究が不足しており、明快な回答が無いというのが現状です。
鳥はアミグダリンを食べても平気だった!?
しかし、これに関連して興味深い研究が行われています。
北アメリカにはヒメレンジャク Bombycilla cedrorum という果実食のレンジャク科の仲間がいます。このヒメレンジャクはスモモ属の複数種 Prunus spp. やニワトコ属の複数種 Sambucus spp. の果実など、アミグダリンを含む果実を大量に摂取しています。
なぜヒメレンジャクはアミグダリンを含む果実を大量に食べておきながら平気な顔をしているのでしょうか?
そこでこの研究ではヒメレンジャクのアミグダリンへの耐性が調査されたのです(Struempf et al., 1999)。
実験ではアミグダリンをさまざまな濃度で含む人工果実をヒメレンジャクに暴露し、その存在によって果実消費が減少したかどうかを測定されました。アミグダリンが果実の相対的な魅力を低下させるかどうかを調べるため、ヒメレンジャクにアミグダリン入りの人工果実とアミグダリンなしの人工果実を選択させる実験も行われました。
その結果、ヒメレンジャクは野生の果実の4倍量のアミグダリンを含む人工果実を食べ、4時間でラットの経口致死量の5.5倍を摂取しても、震えや運動失調、麻痺などの外見上の毒性は示さなかったのです。
また、アミグダリンの有無はヒメレンジャクの好き嫌いには影響しませんでした。
これはヒメレンジャクにとって、アミグダリン入りの果実は全くの無毒であると考えるでしょう。
この結果を踏まえると、もしかしたらスモモ属の植物にとって、哺乳類はそもそも眼中になく、むしろ種子散布の効率が悪く、種子の死因となる泥棒であると考えており、死んでも構わないということなのかもしれません。仁の苦味は、その不快感通りに「この果実に手を一切を付けるな!」というシグナルであると解釈できます。
一方、鳥こそが最も重要なパートナーであるということなのかもしれません。
他の哺乳類や鳥でのアミグダリンへの耐性の研究が不足しているので、この通りであると断言はできません。ヒメレンジャクが特殊化している可能性もありますし、一部の哺乳類が特殊化している可能性もあります。実際アメリカグマ Ursus americanus やキンイロジェントルキツネザル Hapalemur aureus ではアミグダリンへの耐性があることが分かっています。
しかし、もしスモモ属の植物に哺乳類が嫌われているとしたら、哺乳類のヒトとしては寂しい事実かもしれません。
ただ、皮肉にもその苦味や果肉の甘味のお陰で、ヒトから重宝されて、世界中に個体数を増やしたということになります。どのような性質が成功に結びつくのか分からないという、何か教訓めいたものまで感じますね。
葉のアミグダリンは昆虫にも効果あり!?
なお、アミグダリンの効果はこれだけではありません。アミグダリンは葉、樹皮にも微量含まれます。葉に含まれるものは別の作用が目的であると考えられます。
まず、抗真菌作用があり、真菌の繁殖を抑制することがあります。ただしあまり研究は進んでいません。
また葉を食べる葉食性の昆虫にも効果がある場合があります。しかしこの効果は、種類によって大きく異なります。例えば、アミグダリンとリナマリンは葉食性の直翅類には強い抑止効果を示しませんが、2種類のヤガ科の幼虫(イモムシ)では食べる量を減少させることが分かっています。
アミグダリンを発達させた目的が元々葉を守るためだったのか、仁を守るためだったのかのは今のところ分かっていませんが、どちらにせよ、現在ではかなり多用途であるということは間違いなさそうです。
引用文献
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出典元
本記事は以下書籍に収録されていたものを大幅に加筆したものです。