シランは本来日本の本州〜沖縄に自然分布する多年草ですが、野生のものは準絶滅危惧種となっています。一方で園芸植物としても人気でどの街に行っても見かけるほどです。かつては日本の野生個体群は栽培個体が逸出したとも考えられていましたが、現在は野生分布するという見解が一般的なようです。似た種類にはアマナランがあります。肺出血を止めたり、喀血を止める止血薬として中国でかつて用いられており、江戸時代には園芸用や薬用として広く知られる存在となっていきます。そんなシランですが、その花はラン科に共通の「ラン形花冠」を持っており複雑な構成ですが、ラン科の中では外見はそれほど特殊ではありません。しかし、シランは他のラン科の植物とは一つ大きな違いがあります。それは蜜を分泌しないのです。蜜のある花に擬態することによって、昆虫を騙し、その中のごく一部のハナバチの仲間によって送粉され受粉します。しかしそのようなことをすると昆虫側も学習してしまい、受粉できなくなってしまう可能性があります。その解決方法として最近の研究で、単純に花からの報酬を求めて来るハナバチだけでなく、蜜を求めて(騙されて)訪花するメスバチを探してやってくる“オスバチ”を利用しているのではないか?という説が唱えられています。果実は蒴果で風散布です。本記事ではシランの歴史・送粉生態・種子散布について解説していきます。
町中で見かける絶滅危惧種
シラン(紫蘭) Bletilla striata は中国、朝鮮、台湾、日本の本州〜沖縄に分布し、日当たりのよい湿性斜面に生える多年草です(門田ら,2013;Ogawa & Miyake, 2020)。
ラン科シラン属に含まれ、変種としてシロバナシラン B. striata f. gebina があり、花が白色のものです。
日本では野生のものは準絶滅危惧種となっていますが、日射量や土質、水の条件などで生育可能な範囲が広く、株分けで簡単に増やせることから園芸植物としても人気で(川原,2008)、どの街に行っても見かける印象があります。根茎はカタツムリのような偏圧球形に肥大した球茎が連なっています。
シランに似た種類は?シランとアマナランの違いは?
シランに似た種類は普通見かけることは少ないでしょう。町中に生えているものは殆どシランであると考えて良いでしょう。
しかし、分類上の近縁種としては同じ属にアマナラン Bletilla formosana という種類が知られています。
アマナランは日本の琉球諸島、中国南部、台湾の高地(標高600~3100m)に自生する地生ランで園芸種として見られることはあります。ただし、見かけることは稀でしょう。
アマナランはシランと比較して、花の唇弁がより激しく波打ち、赤紫色の斑点が入り、葉は細く、小型であるという違いがあり(Wu et al., 2009)、かなり印象は異なるので混同することは少ないかもしれません。
肺結核の救世主
日本の野生個体群は栽培個体が逸出したという考えもあるようですが、最近の図鑑によると自生種であると考えてよさそうです(神奈川県植物誌調査会,2018)。奈良時代の和歌集である『万葉集』に「蕙」の名で登場しているとされており、少なくともこの頃から認知されていました(川原,2008)。
中国では後漢から三国の頃に成立した中国の医薬に関する書物の『神農本草経』に記載されています(ウチダ和漢薬,2023閲覧)。古くはシランの球茎を「白及」という色に由来する名の生薬として用いており、肺出血を止めたり、喀血を止める止血薬などとして用いられました。特に肺結核の喀血を止める目的として注目されていたようです。その後、日本でも江戸時代には園芸用や薬用として広く知られる存在となっていきます(小林,1986)。
ラン科に典型的な花の形
花は4〜5月の春に咲き、数個つき、大型で、紅紫色です(門田ら,2013)。これがそのまま「紫蘭」の名前の由来となっています。非常にシンプルですね。
ラン科に含まれる植物共通の「ラン形花冠」という特有の形をしており、3個の萼片と3個の花弁からなり、本来3枚の花弁と3枚の萼片であったものが、巧みに組み合わさっています(清水,2001)。
3枚の萼片は上部に1枚と下部に2枚あり、花弁と同じ色になって、花の構造を支えつつ、花弁とともに遠くの虫を惹き寄せます。斜め上に伸びているものはそのまま2枚の「側花弁」からできていて、中央にある複雑に見える構造は「唇弁」と呼ばれる1枚の花弁が変化した部分です。
唇弁は襞があり最も目立つ部分である「中央裂片」とそれを取り囲む「側裂片」から構成されます。中央裂片の上側には「蕊柱」という雄しべと雌しべが合体した構造物があります。
花にやってきた昆虫は花全体に引き寄せられ、とても目立つ中央裂片に到達し、襞の上に乗っかって花の中に入り込み側裂片に支えられ、背中で蕊柱に接触し、花粉の受け渡しをするという過程を経ます。特に中央裂片の襞は昆虫にとって視覚的に重要だと考えられています(Sugiura, 1995)。
ハチを騙す花
ここまでは一般的なラン科の植物の花粉の送り方とほぼ同じです。しかし、シランは他のラン科の植物とは一つ大きな違いがあります。それは蜜を分泌しないのです(Sugiura, 1995; Ogawa & Miyake, 2020)!つまり他の蜜を出す花に擬態して虫を騙して花粉を運ばせているということになります。このような擬態を「一般的な食物擬態(generalized food-deceptive)」と言います(Ogawa & Miyake, 2020)。この擬態は、具体的に擬態の対象がある擬態、というわけはなく「なんとなく普通の花」のつもりになっているという点が面白い点です。つまりヒトが時々使う抽象的な「花」という概念が自然界でも見られていると考えても良いかもしれません。
やってくる昆虫の種類としては様々でハチ目、チョウ・ガを含むチョウ目、ハエ目など多くの種類がやってくることが確認されています(Sugiura, 1995; Ogawa & Miyake, 2020)。ただし、花粉がつき受粉に貢献するのはニッポンヒゲナガハナバチやシロスジヒゲナガハナバチ、セイヨウミツバチなどごく一部のハナバチの仲間に限られます。ですからシランとしてはハナバチの中でも比較的中間くらいのサイズのハチを最も呼び寄せようと努力している、と考えられるでしょう。
普通に騙せなくなったらオスバチの愛を利用する?
しかし、多くの虫を騙す花と同じようにこのような戦略には大きな問題があります。それはハチ達が花の形や色を覚えてしまい、次第に花に訪れてくれなくなってしまうという問題です。特にシランは密集して咲くことが多いので余計覚えられてしまう可能性が高まります。それなのにシランの花にはきちんと受粉が出来ています。それはなぜなのでしょうか?
その理由として最近の研究で、花からの報酬を求めて来る虫だけでなく、蜜を求めて(騙されて)訪花するメスバチを探してやってくる“オスバチ”がやってくることが重要なのではないか?という説が唱えられています(Ogawa & Miyake, 2020)。
オスバチはメスバチと交配するためにメスバチの現れる可能性の高い花の近くで待ち伏せすることがあります。この時、オスバチは(おそらく)小腹を満たすため、たまに花の中に入ることがあります。オスバチはメスを探すことに夢中で学習する余裕がなく定期的にシランの花に訪れる結果、しっかり受粉が成立する、という仮説です。このような受粉の仕方は「ランデブー誘引(rendezvous attraction)」と呼ばれています。実際にオスバチがシランの周りをパトロールし、シランが蜜を分泌しない偽の花だと知っても、依然としてその場を陣取る様子も確認されています(Sugiura, 1995)。
もっとも、本当にオスバチが花の形や色を覚えないのか?他に理由があるのか?という点はまだ調べられていません。そんなにオスバチは記憶力がないのでしょうか?とはいえ、シランはランの中でも特別な戦略をとっているのは間違いなさそうです!
なお、シロバナシランという花が白い品種も知られていますが、この品種は上記のような研究では扱われていないので、どのような理由で現れるのか気になるところです。
果実は蒴果で種子は風散布される
シランの果実は蒴果で長さ3.4cm以下です(Wu et al., 2009)。
種子は多くのラン科と同じように風散布で、蒴果の中には、微細な種子がぎっしり詰まっています(Miura et al., 2019)。ひとつの蒴果に、数万から数十万個もの種子が入っているとされ、果実が熟すと隙間ができ、中から無数の微細な種子がこぼれ、弱い風によって飛ばされていると考えられています。
種子にはプロトコームとラン菌根菌が不可欠!
シランを含むラン科の仲間の種子には特殊な点があります。
植物の種子が生長するときに何を栄養源としているかについてご存知でしょうか?
例えばイネ科では胚乳にエネルギー源を蓄えていますし、マメ科では子葉にエネルギー源を蓄えています。これは子供の頃習ったことがあるかもしれません。ところがラン科では胚乳はなく、子葉も殆どの種類でありません(Yeung, 2017)!
シランを含むラン科の仲間の種子は発芽後、まず球状に肥大した状態になります。これを「プロトコーム」と呼びます。この状態のときは「ラン菌根菌」という、植物の根に入り込む菌と共生しています。シランでは Tulasnella sp. という真菌が知られています(Miura et al., 2019)。
ラン菌根菌側はラン科のセルロースを加水分解して利用し、ラン科植物側は炭素の供給してもらうことでエネルギー源を得るというwin-winの関係にあります(大和・谷亀,2009)。ただ、セルロースを加水分解するというのは体を分解されるということなので、必ずしも100%win-winなのかは謎ですね。
これはつまりシランは自分で光合成を行ってエネルギー源を得る段階(独立栄養)に移行するまでの間、他の生物に頼ってエネルギー源を得る段階(従属栄養)を持っているということです。
ラン科の植物はラン菌根菌との共生によるエネルギー源を得ることに特化し始めたため、胚乳や子葉を失う結果となったのです(大和・谷亀,2009;Yeung, 2017)。
他にも菌根菌と植物の共生関係は沢山知られているのですが、一般的には「菌根菌が」植物からエネルギー源を得るのでこれはとても特異的なことです。
このような関係は、多くの種類のランで確認され、特定のランと特定のラン菌根菌との間で成立しています。
一方で、逆に言うとラン菌根菌が居ないと生育が出来ないということになります。このことが個体数の少なさ、環境への変化の弱さ、栽培の難しさに繋がっていると考えられています(大和・谷亀,2009)。
しかし、そもそもなぜラン科はラン菌根菌と共生することに頼っているのでしょうか?
はっきりと明言している論文は発見できませんでしたが、ここまでを踏まえて私が考察する限り、親が種子を作るときに種子が最初に育つために胚乳や子葉に蓄えておくべきエネルギー源が要らないので、菌が生息しているなどの特定の環境下では他の植物より有利で安定的に子供が育てられるというメリットがあるのでしょう。一方、環境が変わってしまうと子供が作れなくなるというデメリットがあると考えられます。
引用文献
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Miura, C., Saisho, M., Yagame, T., Yamato, M., & Kaminaka, H. 2019. Bletilla striata (Orchidaceae) seed coat restricts the invasion of fungal hyphae at the initial stage of fungal colonization. Plants 8(8): 280. https://doi.org/10.3390/plants8080280
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