「魔女狩り」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。16世紀のヨーロッパでは、数万人が迷信や集団パニックによって魔女と断罪され、命を奪われるという狂気の時代がありました。
そんな暗黒の時代に、医学と理性の力で迷信に立ち向かい、魔女狩りを終わらせようとした実在の医師たちがいた──。それが今回ご紹介する、槇えびし氏による歴史漫画『魔女をまもる。』です。
本記事では、本作のあらすじや魅力はもちろん、どこまでが史実なのかという歴史的背景まで詳しく解説していきます。史実に基づく人間ドラマや、胸熱の師弟ストーリーが好きな方はぜひ参考にしてみてください!
この漫画の基本情報・あらすじ
槇えびしによる漫画『魔女をまもる。』は、16世紀のヨーロッパを舞台に、実在した精神医学の先駆者である医師ヨーハン・ヴァイヤーを描いた歴史ドラマです。
- 時代背景:16世紀、数万人が迫害され処刑された狂気の「魔女狩り」が横行していた時代。
- 主人公の戦い:魔女や人狼と断罪された人々(女性や子供など)に対し、迷信や妄想、流言による迫害から救うため、医学や精神医学の力で寄り添い、真実を追求して戦った実在の医師ヨーハン・ヴァイヤーの姿が描かれます。
- 幼少期のトラウマ:少年時代のヴァイヤーが故郷の村で少女エルマに起きた悲劇を目撃したことが、のちの長年にわたる医師としての信念やトラウマの原点となっています。
- 師との出会い:師であるアグリッパとの関わりや、人狼・魔女という存在が人々の不安や疑念によって作り上げられていく過程がリアルに綴られます。
『魔女をまもる。』は上・中・下の3巻と番外編が2020年に販売されています。週刊雑誌のコミックとは異なり、3巻が同時発売され、3巻で完全に完結する構成となっています。そのためまとめ買い購入がおすすめです。
番外編は2023年に販売され、Kindle版のみです。こちらはキャラクター設定からプロット・背景作画・装丁デザインの詳細に加えて、番外的ストーリーが収録されているもので、ストーリー理解上は購入必須ではありませんが、ファンは必見の内容となっています。
『魔女をまもる。(上)』の基本情報
16世紀、数万人が迫害を受けて死んだ”魔女狩り”。その狂気の時代に魔女と断罪された人々に寄り添い、医療の力で救おうとしたひとりの医師がいた──。精神医学の先駆者でもある実在した医師、ヨーハン・ヴァイヤーを描いた歴史ドラマがついに書籍化!
『Amazon』
- タイトル:『魔女をまもる。(上)』
- 作者:槇えびし
- 出版社:朝日新聞出版
- 発売日:2020/11/20
- 言語:日本語
- 本の長さ:240ページ
- ISBN-10:4022143029
- ISBN-13:978-4022143020, 9784022143020
『魔女をまもる。(中)』の基本情報
人を助けるためならば、教会との対立も厭わない師匠アグリッパの強い姿勢に心を打たれたヴァイヤーは医師として独り立ちをしていた。
『Amazon』
ある日、毒死した女性を検視していたところ水差しの底に「悪魔の印章」を発見する。
これは悪魔の仕業なのか・・・
- タイトル:『魔女をまもる。(中)』
- 作者:槇えびし
- 出版社:朝日新聞出版
- 発売日:2020/11/20
- 言語:日本語
- 本の長さ:256ページ
- ISBN-10:4022143037
- ISBN-13:978-4022143037, 9784022143037
『魔女をまもる。(下)』の基本情報
公爵の命令で、人狼騒ぎを収めるために村に派遣された医師・ヨーハン・ヴァイヤーと騎士のゲルハルト。
『Amazon』
悪魔の恐怖に怯えた村人たちは発狂し、暴力沙汰を起こす中、
そこに分け入ったヴァイヤーは「人狼を救いに来た」と村人たちに告げるのだが…。
- タイトル:『魔女をまもる。(下)』
- 作者:槇えびし
- 出版社:朝日新聞出版
- 発売日:2020/11/20
- 言語:日本語
- 本の長さ:256ページ
- ISBN-10:4022143045
- ISBN-13:978-4022143044, 9784022143044
『魔女をまもる。番外編』の基本情報
『このマンガがすごい!2022』オンナ編14位にランクインした
『Amazon』
16世紀に実在した医師を描いた歴史漫画『魔女をまもる。』の番外編が登場!
医師アグリッパの元で修業する少年ヨーハン・ヴァイヤーは、
子供の頃に魔女の疑いをかけられ、
斬首された友人のトラウマから抜け出せずにいた。
ある日、アグリッパとともに港町を訪れたヴァイヤーはある少年と出会う。
彼は病身を押して、どこかへ急いでいた。
「方舟に乗る」という言葉を呟きながら……。
番外編の他、『魔女をまもる。』全3巻のキャラクター設定からプロット、
背景作画、装丁デザインの詳細に至るまでを公開!
さらにすべてのカラー原稿を余すところなく収録した超豪華エディション!!
- タイトル:『魔女をまもる。(下)』
- 作者:槇えびし
- 出版社:朝日新聞出版
- 発売日:2023/6/1
- 言語:日本語
- 本の長さ:256ページ
- ISBN-10:4022143045
- ISBN-13:978-4022143044, 9784022143044
作者は?槇えびしのプロフィール
槇えびし
実力派絵師
『BLサイト ちるちる』
絵本「さよ 十二歳の刺客」「万人の父になる 佐竹音次郎物語」などの挿画。
2011年、講談社「アフタヌーン」にて、冲方丁の時代小説『天地明察』のコミカライズを連載。
「魔女をまもる。-全3巻」「朱黒の仁-全3巻」「みずのいろ。」など。
挿画、短編漫画などを経て、現在は漫画連載を主に活動。
槇えびし氏はイラストレーター・漫画家で、書籍の挿絵ほか、一般向け漫画・女性向け漫画など幅広く活動なされているようです。
作者X(Twitter)は@maki_abc。
作者様は創作漫画もあり、完全に歴史漫画家というわけではないようですが、時折歴史を題材にしているようです。
『天地明察』は江戸時代前期に実在した天文学者・渋川春海(安井算哲)が、日本独自の新しい暦を作る壮大な事業に挑む姿を描いた歴史漫画です。
『朱黒の仁』は戦国時代最強の武将、真田幸村。豊臣方で武士としての行き方を貫く幸村と息子大助。徳川方で真田の名を遺そうとする兄信之。それぞれの生き様を描いた歴史漫画です。
これらはまだ私は読めていませんが、そのうちチェックしていきたいと思います。
なぜ読もうと思った?
私が『魔女をまもる。』を読もうと思ったきっかけは、迷信にまみれた近世ヨーロッパで、「魔女狩りを止めた」人物が居たという事実に衝撃を受けたからです。
世界史を学んだ人や歴史好きの人からすれば、中世~近世のヨーロッパがいかに閉鎖的で、迷信とローマカトリックの教えが入り混じった混沌とした世界であったのかということはよく知られていると思います。
近世(16〜17世紀)では村で問題が起こると、コミュニティから外れた人物を魔女と決めつけ、魔女裁判なるものを開き、自白しても悪魔と契約したから処刑、黙秘しても処刑という完全に疑われたら「詰み」という世界が生まれていました。
魔女の正体については諸説ありますが、単一ではなく、精神疾患の女性、閉経後の更年期障害で精神不安定となった女性や、ナス科の薬草を利用してトランス状態になった女性、コミュニティからのはぐれ者などが含まれていたのではないかと言われています。
最初は村の外れに住む老婆や高齢の薬草医がターゲットとなります。本来、薬草医は近代的な科学的医療が発達する前に伝統的な経験則によって、鎮痛・避妊・堕胎・消毒などを用いて、民衆の現実的な医療を支えていた重要な社会の一員で中世では認められていました。
しかし、近世になると医療利権争いで排除を狙った男性医師や、「避妊」や「堕胎」を許さないキリスト教会(カトリック・プロテスタント)の意図も絡んで迫害されることになったのです。
なお、急に近世になってキリスト教会が薬草医を排除し始めたのは、中世では妊娠初期の胎児にはまだ人間の魂が宿っていないと解釈していたものを、近世になると「胎児の発達段階にかかわらず、受精した瞬間からそれは完全な人間(魂がある)である」と神学的な定義が書き換わったことが関係しているようです。
この迫害は次第にコントロール不能なヒステリックな騒動に繋がっていき、魔女の範囲は若い女性や、なぜか男性や動物にも広がっていき、「動物裁判」という珍妙な裁判も行われるようになっていきました(ただし動物裁判そのものは13世紀からあります)。
このように、魔女狩りは理性から離れ、集団パニックが生み出した産物で、私は魔女狩りは漠然と法律と科学の進展で自然と消滅したのだと思っていました。実際に消滅したのは17世紀後半~18世紀末のことです。
しかし、16世紀の時点でいち早く魔女狩りの問題点を指摘した人物がこの時代に既にいたのです。それはヨーハン・ヴァイヤーとその師匠のアグリッパでした。
このことを漫画のあらすじを読んで知って、より深く学んでみたいと思ったのがきっかけでした。
主人公・内容は?史実性は?
主人公のヨーハン・ヴァイヤーとはどんな人物?
この本の主人公は医師ヨーハン・ヴァイヤーです。
1515年にオランダのゲネップで生まれたヨーハン・ヴァイヤー(ウェイアー)は、精神医学の先駆者、そして歴史的な医師として知られています。
彼の最も大きな業績は1563年、長年の研究と医師としての洞察を詰め込んだ大著『悪霊の幻惑、および呪法と蠱毒について』を出版し、魔女狩りを弾劾し、「精神病」という概念を普及させたことです。
同書の中で彼は、魔女として告発され火刑に処されてきた人たちの正体は悪魔の手先などではなく、単なる精神病や思い込み、認知の歪み、あるいは社会的に無力な高齢者や弱者などにすぎないことを医学的・実証的見地から証明し、狂信的な魔女狩りを猛烈に弾劾しました。
ただし、現代的な医学の観点ではなく、古代ギリシャ・ローマの四体液説に基づいており、人間の身体を構成するとされた4つの基本体液の一つである黒胆汁が体内で過剰になることによって、憂鬱やうつ状態(メランコリー)を引き起こし、魔女のような振る舞いをするのだと考えていたことには注意が必要です。
晩年も迫害や批判にさらされながら信念を曲げず、医学と理性の力で魔女狩りの根底を揺るがし続けたヴァイヤーは、1588年にドイツのテックレンブルクでその生涯を閉じました。
しかし、実はヨーハン・ヴァイヤーが魔女狩りを弾劾した最初の人物ではありません。魔女狩りを初めて弾劾した(とされる)のはハインリヒ・コルネリウス・アグリッパというヴァイヤーの師匠である医師・オカルト研究者なのです。この人物と対になって初めてヴァイヤーを理解できるでしょう。
この漫画ではヴァイヤーがアグリッパに弟子入りし、アグリッパの元で様々な苦難を経験し、アグリッパ亡き後、意志を受け継いだヴァイヤーが魔女が存在するという村のミステリーを解決するところまでが描かれています。
先見の明で魔女裁判に立ち向かい、失意の中で没した師匠アグリッパの生涯
師匠のアグリッパとはどのような人物だったのでしょうか?
1486年に神聖ローマ帝国(現在のドイツ)のケルンで生まれたハインリヒ・コルネリウス・アグリッパは、ルネサンス期を代表する思想家・法学者・医師であり、何よりも当時の最高峰のオカルト研究者でした。
彼が一番初めに魔女狩りがおかしいことを指摘したのです。
しかしなぜ彼はオカルト研究者なのに「逆に」悪魔と契約する魔女を否定したのでしょうか?
彼は秘教やネオプラトニズム・カバラ・自然魔術などを極め、悪魔や魔術に関するあらゆる知識を誰よりも深く持っていました。だからこそ逆に、「悪魔と契約して害をなすステレオタイプな魔女など実際には存在しない」というその虚構性を誰よりも冷静に見抜くことができたのです。
つまり現代的な「非科学的だから」魔女が存在しないと考えたというよりかは、「悪魔と契約なんてものはそのへんの一般人ができるわけがない!」と考えたというわけですね。
彼自身は1518年に滞在していたメッスで、魔女として告発された女性に対し、法的手続きの不備や杜撰な告発の矛盾を鋭く突いて無罪に導くなど、時代を先取りした勇気ある行動で無実の人々を救い出しました。
しかし、その圧倒的な知性と進歩的な思想ゆえに教会や保守派から激しい反発と冷遇を受け、異端視されながら各地を追われることになります。彼は失意と孤独の中で、1535年にフランスのグルノーブルでその生涯を閉じました。だが、彼が命を賭して切り拓いた異端をも恐れぬ批判精神は、のちの時代へ大きな火種を残しました。
青年期のヴァイヤーは、各地を歴訪して類まれなる知性と人間性を持っていたアグリッパの人柄や思想に深く傾倒し、直接その門を叩いて弟子入りを果たしました。アグリッパの元で実践的な医学や人間洞察、そして権威に屈しない批判精神を徹底的に叩き込まれたヴァイヤーは、師の死後、その教えをさらに昇華させます。
アグリッパが法と理性の力で孤軍奮闘し、失意のなかで残した道を、愛弟子であるヴァイヤーが医学という実証的な武器でさらに押し広げたことで、暗い歴史を終わらせるための確かな道筋が作られたのです。
アグリッパもヴァイヤーも魔女狩りを終わらせることができませんでした。しかし、彼の残した書籍が後世の魔女狩り反対派の理論的支柱となっていきます。
どこまでが史実?
大筋は史実通りだと考えられます。中巻の後書きで太成学院大学教授の黒川正剛氏が監修していることが語られており、この点では非常に安心できます。
ただし、ヴァイヤー自身は魔女狩りに反対をしたものの、師匠のように具体的に裁判などで具体的に弁明を行った記録は残っていません。ヴァイヤーがなぜ魔女狩りを否定するようになったのかという部分やミステリーパートは完全に創作です。
ヴァイヤーがアグリッパの元に居た時に発生した黒死病の事件も創作だと考えられます。
しかし、これらはストーリーに彩りをもたらすもので、史実では計り知れないヴァイヤーの心の動きを理解しやすくしてくれているものでしょう。
『魔女をまもる。』の見どころ・おすすめポイント
この漫画は一言で言うと魔女狩り×師弟物×ミステリーということができるでしょう。
魔女狩りという観点では、当時の魔女狩りの理不尽さを身をもって体験できます。今なら精神不安定だよね、とか精神疾患の方だよね、と簡単に理解できる人が無惨に殺されていく様は目を背けたくなりますが、こういう歴史があったと理解を深めることは現代を考える上でも重要だと思います。
また、出版社の紹介文ではあまりアグリッパの存在については言及されていませんが、師匠アグリッパが提唱し続けた意志を弟子ヴァイヤーが受け継いだという意味で、非常に少年漫画的な展開が繰り広げられます。
これが史実って、すごすぎませんか!?もっとこの事実は知られるべきだと思います。
また、ミステリーとしては上巻での伏線が下巻で回収され、二転三転するストーリーは秀逸です。
またキャラクターデザインも素晴らしく、ヴァイヤーのWikipediaにある肖像画は髪の毛のないおじさんですが(笑)、青年期のヴァイヤーは「気弱だけれども知的な美青年」というビジュアルで、個人的には非常に癖に刺さります!
『魔女をまもる。』はどんな人におすすめ?
この本が向いている人は?
『魔女をまもる。』がおすすめなのは当時としては異端とされても、自分の知識を信じ、果敢に困難に立ち向かったヴァイヤーに勇気を貰いたい人だと思います。
ヴァイヤーのきっかけとなる少女の死から逃げずに信念を貫き通す姿がかっこいいのです。
また、精神疾患当事者の方も、このような過去の偉人が足がかりを作ってくれたのだと、思いを馳せるという意味で、参考になると思います。
今でこそ、精神疾患があっても生きていける仕組みが少しずつ広がっていきましたが、もし、ヴァイヤーが居なければもっとひどい世の中だったかもしれないと考えると、よりヴァイヤーの偉業が身近に感じられるかもしれません。
また、シンプルにミステリーとしても面白いので、歴史物ということから離れて読んでみるのもミステリー好きの人にはおすすめできます。
この本が向いていない人は?
この本をおすすめできない人は近世ヨーロッパの理不尽さに耐えられない人です。迫害対象に指定されたら死刑確定という理不尽さ、自分がその対象に指定されたらと思うとゾッとします。これはあまりいい体験ではないかもしれません。
また、全般的にヴァイヤーが「こういう事実があるよ」と言っても自分たちの俗信を優先する村人には少し…というか大分イラつくかもしれません。
しかし、地方での当時の識字率の低さやメディアが流通していなかったことを考えると、むしろリアルな反応かもしれません。科学の進展でこんなにも「一般人」の感覚というのは変わったのだと思います。
これらの理不尽さに憤りを感じる人にはおすすめできないかもしれません。
まとめ
『魔女をまもる。』は近世ヨーロッパで理不尽に立ち向かった勇敢な2人の物語です。ぜひ歴史好きやミステリー好きの方は読んでみてください。
