サギソウはやや湿った場所に生息する多年草で、園芸でも人気の種類ですが、残念ながら湿地生息地の減少や盗掘が原因で環境省レッドリストでは準絶滅危惧になっている種類でもあります。近縁種は多く、サギソウの名がつく種類も多いですが、鷺のように横に平たく張り出した唇弁を持つものは他に殆どおらず、区別は容易です。サギソウは目立つので古代から知られていそうなものですが、最古の記録は1603〜1604年に成立した『日葡辞書』だと考えられています。ただ、それ以前から知られていたようで、世田谷城にまつわる「鷺草伝説」は悲劇のストーリーとして著名です。そんな可憐なサギソウの花ですが、皆さんはその花にやってくる昆虫はどのような種類であるかご存知でしょうか?かつてから指摘されてきたスズメガという夜行性の蛾に加えて、日中ではセセリチョウの仲間もやってきます。更に驚いたことに最近の研究ではアザミウマという微小昆虫も補助的に訪れることで受粉を確実にしてることが分かっています。果実は蒴果で種子は風散布されますが、サギソウを含むラン科の植物では種子の発芽にプロトコームとラン菌根菌が不可欠です。本記事ではサギソウの歴史・生理・送粉生態について解説していきます。
湿地に生息する準絶滅危惧種
サギソウ(鷺草) Habenaria radiata(シノニム:Pecteilis radiata)は朝鮮半島・極東ロシア・中国東部・日本(北海道・本州・四国・九州)に分布し、やや湿った場所に生息する多年草です(榎本・阪本,2022)。
ラン科ミズトンボ属に含まれ、過度の土地開発による湿地生息地の減少や盗掘が原因で環境省レッドリストでは準絶滅危惧(NT)となっており、都道府県別でも多くの場所で絶滅から準絶滅危惧の指定を受けています(野生生物調査協会・Envision環境保全事務所,2022)。
サギソウに似た種類は?サギソウとダイサギソウの違いは?
サギソウが属するミズトンボ属 Habenaria にはかなり大きなグループで日本でも沢山の種類が知られています。
「サギソウ」とつく種類はミズトンボ属にはダイサギソウ Habenaria dentata、ナメラサギソウ Habenaria pantlingiana、ネバリサギソウ Habenaria ciliolaris、ハゴロモサギソウ Habenaria petelotii、イトヒキサギソウ Habenaria polytricha、ナガバサギソウ Habenaria stenopetala などが知られています。
また、ミズトンボ属以外にもサギソウとつく種類が何種類か知られています。
しかし、ダイサギソウを除いて花冠の下に配置されている1枚である唇弁が平たく大きく広がっているものはなく、似ているのは名前だけです。
唯一、ダイサギソウ(大鷺草)はサギソウと似ていると言えるかもしれませんが、サギソウでは花の上に配置された2枚の花弁(側花弁)が前方に伸びるのに対して、ダイサギソウでは側方に大きく伸び張り出しているという違いがあります。更に唇弁の裂けた数はダイサギソウの方が明らかに少ないです。そのため、見間違えることは少ないでしょう。
意外に文献上の記録は新しい?鷺草伝説とは?
山野草として観賞用に栽培されることもあり、日本人との歴史は長い可能性はあります。
ただ文献としてサギソウの名が初めて現れたのは意外に新しく、インターネット上では江戸時代の園芸について記した書物である『花壇地錦抄』(伊藤,1695)での記述が広く紹介されていますが、もう少し早い1603〜1604年に成立した日本語をポルトガル語で解説した辞典である『日葡辞書』にその名があることが分かっています(磯野,2004;2009)。
サギソウは東京都世田谷区と兵庫県姫路市にシンボル花として選ばれています。
東京都世田谷区が区の花に選ばれている理由としては世田谷城にまつわる「鷺草伝説」と呼ばれる伝説に由来します。
奥沢城の城主・大平出羽ノ守の愛娘・常盤姫が、世田谷城の7代目城主・吉良頼康公に10人目の側室として選ばれ寵愛を受け子供を宿した。このことを嫉妬した頼康公の他の9人の側室達の計略で、常盤姫は無実の罪を頼康公に咎められ、最後は上馬の地で追手に捕らえられ自害した。世田谷城から追われる前に、常盤姫は大平出羽ノ守に助けを求める手紙を白鷺の足に付け託したが、折からの雨に濡れた足の手紙が重くなり白鷺は奥沢城近くで力尽き息絶えた。白鷺の亡骸は付近の村人によって発見され丁寧に葬られた。あくる年の夏に、その白鷺を埋めた場所に美しい花が一斉に咲き、それは白鷺の舞い立つ姿にそっくりな花であった。人々は、常盤姫の運命を偲んでこの花を鷺草と名付けた。
『Wikipedia日本語版』「奥沢城」および『世田谷城下史話 改訂版』
あくまで伝説であり、細部は史料によって異なるようです。吉良頼康は生誕年不明で、1562年没であることから、『日葡辞書』より古いですので、サギソウの名が常盤姫と何かしら関係している可能性はゼロではないですが、流石にこの伝説以前からサギソウは認識されていそうなものです。ただ、ロマンチックな伝説であることには違いないでしょう。
鷺のような花の構造は?
花は皆さんがご存知の鷺のような見た目です。7~8月に咲きます(里見ら,1982)。ラン科なので「ラン形花冠」という特有の形をしており、3個の萼片と3個の花弁からなり、本来3枚の花弁と3枚の萼片であったものが、巧みに組み合わさっています(清水,2001)。3枚の萼片は3枚の花弁を後ろから支えています。
3枚の花弁のうち、下に配置されている1枚である唇弁は大きく、深く3裂し、中裂片と2つの側裂片に分かれます。中裂片は披針形、両側の側裂片は斜扇形で側方に開いてその縁は細かく裂けています。この唇弁の開いた様子がシラサギが翼を広げた様に似ていることが和名の由来となっています(高村,2005)。
また3枚の花弁のうち、上に配置されている2枚である側花弁は白色でゆがんだ卵形となっており、雄しべと雌しべが合体した蕊柱を包んでいます。
花の中心には穴があり、3~4cmの垂れ下がっている距に繋がっています。先端は次第に太くなり、この末端に蜜が溜まります。これは相当口が長い昆虫がやってくる可能性が高いことを示しています。
サギソウの花にはスズメガがやってくる!?
ではこの距がとても長い花にはどんな昆虫がやってくるのでしょうか?
日本の数々の研究グループによって発表された記録によると、スズメガ科の仲間が訪れることが分かっています(井原,2013;Shigeta & Suetsugu, 2020;Tachibana et al., 2020)。この傾向はサギソウが所属しているミズトンボ属 Habenaria の仲間でも広く確認されています(Ikeuchi et al., 2015; Shigeta & Suetsugu, 2020)。
具体的にはコスズメ Theretra japonica の記録と(Shigeta & Suetsugu, 2020)、セスジスズメ Theretra oldenlandiae の記録があります(Tachibana et al., 2020)。どちらも日本では一般的なスズメガの種類で、どちらも口吻が非常に長い夜行性の蛾です。
夜間、これらの蛾は唇弁を目印としてサギソウの花にやってきます。蛾はサギソウの花の中央にある穴に長い口吻を差し込み、距に貯まっている蜜を吸おうとします。この時に距は口吻長より長い絶妙な長さになっているので、ぎりぎり蜜を吸う事ができます。蛾は奥まで口吻を突っ込もうとすることによって、花の穴の上部にある蕊柱に接触することになります。接触すると口吻や複眼あたりに粘液質の吸盤がついている花粉塊が張り付き、また別の個体の花粉塊を持っていた場合は受粉が起こります。
スズメガとサギソウは1対1の関係ではありませんが、様々な関わりの中で進化してきた結果、絶妙な長さの「口吻」と「距」の関係が成立していると言えそうです。
花には「送粉シンドローム」といって誰によって花粉を運んでもらうかによってある程度形に傾向があるのですが、スズメガ媒花の送粉シンドロームとしては白っぽく、夜間開花し、管状の花冠で大きく目立ち、夕方から朝にかけて作られる強く甘い香りをさせる傾向があることが知られています。サギソウでも匂いを除いて、これらをよく満たしていると考えられます。
昼にはチョウもやってきていた!?
しかし、この花にやってくるのは蛾だけではありません。日中にはセセリチョウ科の蝶もやってくることが直接観察やカメラ撮影で行われた各地の別の研究でわかっています(木村,1980;Suetsugu & Tanaka, 2014;Ikeuchi et al. 2015)。
具体的にはイチモンジセセリ・チャバネセセリ・オオチャバネセセリという種類でこれらも日本では比較的よく見られる種類です。特にイチモンジセセリは都市部でも見られます。
チョウの仲間は口吻が著しく長く、盗蜜者として考えられることが多いのですが、きちんとスズメガと同様の過程で花粉塊がチョウの体についていることが確認されたのです(木村,1980;Suetsugu & Tanaka, 2014)。
この現象はいまのところ福岡県と奈良県で確認されているので、どこでも発生するのかは不明ですが、サギソウが日中にも咲いていることを踏まえると広く確認される可能性が高いと思います。
このようにスズメガに特化した性質を持つのにチョウもやってくるというのは不思議ですが、テイカカズラやクサギでも同様にチョウがやってくる傾向があるので昼と夜で使い分ける、という戦術は意外によくあることなのかもしれません(Miyake et al., 1998)。
隠された訪問者、微小昆虫アザミウマ?
以上の2グループに加えて更に最近の研究で面白い事実が分かってきました(Shigeta & Suetsugu, 2020)。
花粉を食べにやってくるとても小さな昆虫であるアザミウマも花粉を運んでいることが分かったのです!具体的にはヒラズハナアザミウマ Frankliniella intonsa という種類でした。
アザミウマはとても小さいため1匹ではあまり花粉を運んでくれません。しかし、特定の時期がやってくると無数に花に訪れることが分かっていますし、私もよく見かけたことがあります。
アザミウマは1~2週間で成虫になり、1回の開花期に数世代を繰り返すため、大量の個体が生まれるのです。
そのため、花粉の運び手として非常に貢献していて、サギソウが作った全ての種子のうち、1/4に関して受粉に貢献していた記録もあります。
しかし、そう聞くとアザミウマに全ての受粉を頼ったほうが効率的なのでは?と感じますよね?
ところがやはり、アザミウマの受粉に頼ることにはデメリットもあります。
アザミウマは花粉を食べるために花粉を花の中で移動させてしまうため、自家受粉を促しやすいと考えられています。自家受粉が起こった場合、種子を作るのが難しくなったり、生長の過程に問題が発生することが分かっています。あくまで補助的に利用する、というが良いのでしょう。
サギソウは昼夜の別の昆虫に頼り、補助的にアザミウマを使いこなすため、私達が思っている以上に柔軟な受粉が可能なのかもしれませんね!
果実は蒴果で種子は風散布される
サギソウの花は受粉後、果実になります。果実は蒴果でラン科共通です。種子は多くのラン科と同じように風散布で、蒴果の中には、微細な種子がぎっしり詰まっています(Miura et al., 2019)。ひとつの蒴果に、数万から数十万個もの種子が入っているとされ、熟すと隙間ができ、中から無数の微細な種子がこぼれ、弱い風によって飛ばされていると考えられています。
菌根菌との共生を考えると長距離の移動はリスクもあるので、あまり長距離の移動をしない可能性もあります。
種子にはプロトコームとラン菌根菌が不可欠!
植物の種子が生長するときに何を栄養源としているかについてご存知でしょうか?
例えばイネ科では胚乳にエネルギー源を蓄えていますし、マメ科では子葉にエネルギー源を蓄えています。これは子供の頃習ったことがあるかもしれません。ところがラン科では胚乳はなく、子葉も殆どの種類でありません(Yeung, 2017)!
サギソウを含むラン科の仲間の種子は発芽後、まず球状に肥大した状態になります。これを「プロトコーム」と呼びます。この状態のときは「ラン菌根菌」という、植物の根に入り込む菌と共生しています。
ラン菌根菌側はラン科のセルロースを加水分解して利用し、ラン科植物側は炭素の供給してもらうことでエネルギー源を得るというwin-winの関係にあります(大和・谷亀,2009)。ただ、セルロースを加水分解するというのは体を分解されるということなので、必ずしも100%win-winなのかは謎ですね。
これはつまりサギソウは自分で光合成を行ってエネルギー源を得る段階(独立栄養)に移行するまでの間、他の生物に頼ってエネルギー源を得る段階(従属栄養)を持っているということです。
ラン科の植物はラン菌根菌との共生によるエネルギー源を得ることに特化し始めたため、胚乳や子葉を失う結果となったのです(大和・谷亀,2009;Yeung, 2017)。
他にも菌根菌と植物の共生関係は沢山知られているのですが、一般的には「菌根菌が」植物からエネルギー源を得るのでこれはとても特異的なことです。
このような関係は、多くの種類のランで確認され、特定のランと特定のラン菌根菌との間で成立しています。
一方で、逆に言うとラン菌根菌が居ないと生育が出来ないということになります。このことが個体数の少なさ、環境への変化の弱さ、栽培の難しさに繋がっていると考えられています(大和・谷亀,2009)。
サギソウにおいても保全を行う上で、この点が課題となっており、人工的に発芽させる場合、ラン菌根菌を接種したり(榎本・阪本,2022)、人工胚乳を使用する試みが行われています(光石ら,2021)。
しかし、そもそもなぜラン科はラン菌根菌と共生することに頼っているのでしょうか?
はっきりと明言している論文は発見できませんでしたが、ここまでを踏まえて私が考察する限り、親が種子を作るときに種子が最初に育つために胚乳や子葉に蓄えておくべきエネルギー源が要らないので、菌が生息しているなどの特定の環境下では他の植物より有利で安定的に子供が育てられるというメリットがあるのでしょう。一方、環境が変わってしまうと子供が作れなくなるというデメリットがあると考えられます。
引用文献
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